アトルニアにおける騎士とは、モンスター(危険種)から人々を守る存在です。
洞窟に入ったらモンスター出るし、森に入ったらモンスター出るし、湖に行ったらモンスター泳いでるし、騎士団のお仕事でいちばん大変なのはモンスター討伐、みたいな世界なんですよ!
http://d.hatena.ne.jp/chika_kt/20061019
「この国の騎士団は元々は土地と人を危険種から守るために作られたものだ」
「自分以外のものを守るために」
ランドリの世界において、モンスターは人間の生存を脅かすものであり、それに対抗する戦闘集団が騎士なのですね。
騎士でない人たちはモンスターと闘う技術を持たないので、騎士は彼らを守らなければなりません。闘うすべを持たない人を守るのだという自負が、“騎士道”の核であると思われます。
人を守ることを崇高な使命としてとらえ、そこに自分の命よりも大切な価値があると信じられるからこそ、騎士は死ぬかもしれない闘いに身を投じることができるのです。騎士にとっては、騎士道精神はまさに“死活問題”でしょう。それはもはや信仰とよべるものかもしれません。
14巻ex2では、騎士(候補生)でないライナスが他の生徒を守るためにスピンドルと闘っていたことが明かされます。このことは、シメオンという騎士候補生にアイデンティティ・クライシスをもたらしました。
ライナスの行為がシメオンの中にあった“騎士”のイメージの根幹を崩してしまったのです。その根幹とは、
・騎士だから守るために闘う
・守るために闘うから騎士である
ということです。*1
騎士の「闘うのは義務であり権利である」というのもこういうことです。騎士であるがゆえに闘わなければならない、これが義務。闘うがゆえに騎士でいられる、これが権利。
だから、ライナスの行為はシメオンを混乱させます。騎士ではないのに闘ったライナスはいったいなんなのだ、と。闘ったライナスが騎士ではないというのなら、いったい騎士とはなんなのだ、と。
ライナスも剣術の訓練をうけていたわけですが、意識においては一線を引かれていたのですね。訓練を受けているとはいえ、ライナスは騎士でないので、人を守るために闘うようなことはしないだろう、と思われていた(これはシメオンの台詞「君は逃げるか隠れるかするかと…」にあらわれています)。
結局のところ、騎士になれるかなれないかは出身階級によって決められてしまうわけですが、シメオンはそういう差別的な社会制度に直面したことがないのでしょう。社会のそういう面を意識するのは、男子よりも女子のほうが早いと思われます。なのでトリクシーは「男子って子供っぽい」と思ったのでしょう。
ライナスが闘っただけでこうなのですから、アカデミーの女子生徒が闘うなんてことは、想像もできないでしょう*2。そのため、イオンは自分の戦闘能力を知られることを怖れていました。特にカイルに知られてしまっては、もう一生自分を“レディ”として見てくれないだろうと思ってビクビクしていました。
ジアはこの世界の理想的な淑女です。フィジカル面でもメンタル面でも純粋な愛でもって騎士を崇拝し、無垢な希望を語ります。騎士は私利私欲のためでなく「自分のレディの理想の実現ために」がんばるということになって、騎士道これすなわち愛のために正義や平和や真実に尽くすってことになるわけです。
http://d.hatena.ne.jp/chika_kt/20090525/p1
実際、カイルの認識もこれにピッタリと収まっていたことでしょう。——駆けつけてきたイオン(act65)を見るまでは。
イオンのやっていることは、ランドリ世界の理想(R・ケリーが教えるような理想)とは正反対のことです。しかしカイルはイオンを受け入れました。自分の命を賭けると誓った相手のことをどうして否定できましょうか。
闘うイオンのことを受け入れたとき、カイルの価値観はその根底から塗り替えられ、彼の中での“騎士”の意味は永久に変化してしまったのです。「神よ!」という台詞は決して大げさではありません。
我々読者は、シメオンの、カイルの、その他の登場人物の、一生を変えたできごとを目撃したのです。
命を賭けて闘っているのは騎士だけではありません。しかし、平民は“従”騎士にしかなれませんし、傭兵は自らの利益のために闘う者ですし*3、ニンジャは主君のためだけに闘う者です。
崇高な目的のために闘うというのは、騎士にのみ許されたまさに“権利”だったのです。
しかしこれは変わりつつあります。
“騎士に守られる商人”であるとか、“騎士に守られる女性”といった、騎士ではない人々の存在が、騎士を騎士たらしめているという側面もあるわけですが、ライナスやイオンは「私たちはただ守られるだけの存在じゃない」ということを突きつけました。
また、エカリープでは、騎士でない人たちがモンスターから人々を守るために闘っています(act74)。騎士の“権利と義務”を、騎士でない者が担っているのです。
“騎士以外”が変わることで“騎士”も変わっていくのです。
アカデミー騎士団に所属する“騎士”は、おそらくアトルニアの歴史上に存在したいかなる騎士とも異なる存在です。大人たちを模範にしつつ、その思想に違いがあります。
「彼女はお姫さまじゃなくて… 騎士なのかも 本物の騎士」
(ティティ 14巻ex1)
お城で騎士の帰りを待つお姫さまのために闘うのではなく、戦場で渦勁をぶっ放すお姫さまの背中を守るために闘うのがアカデミー騎士団です。
ネタバレなので15巻未読の人は注意。
「君は報われない幸せを知らない」
意味がわかるようなわからないような、気になる台詞ですが、私はあのことだと思いました……
act14で六甲は、マリオンを引き止めることができたかもしれないと言いました。DXもその可能性に気付いているようでしたが、しかしDXはマリオンを引き止めはしませんでした。
DXはマリオンと別れる未来を知っていたというだけでなく、その未来を変えられる可能性があることも知った上で、それでも別れを選んだのです。
なぜそうしたのか。
具体的な理由についてはact14で語られているのでここには書きませんが、つまり、マリオンとの別れによってしか得られないものがあった、ということです。自分が“報われない”道を選ぶことによってしか得られない“幸せ”があった。これが「報われない幸せ」なのではないかと思います。
もっと自分の得になるように立ち回ることができるのに、そうしない。
ライナスは、そのようにふるまうのは“理想主義”や“ナルシシズム”のせいだろうと言いましたが、DXはそれに反論したのです、報われない幸せもあるのだ、と。
確かに、ランドリオールにおいては、カイルの“騎士道”や、ミュージアム・バルの華やかな“貴族文化”が、肯定的に描かれています。
しかし、このことをもってして、“ノブレス・オブリージュ”や、ひいては“階級制”が肯定されていると解釈するのは、いささか短絡的なのではないかと思います。また、ランドリオールの重要な側面を見落としている可能性があると思います。
14巻ex1において、イオンとフィルは王城の式典で受勲できませんでした。イオンは女性で、フィルは地位が低いからです。これが現在のアトルニアの姿です。はたして、このような光景が、終始好意的に描かれていたでしょうか。
もちろん否です。イオンに勲章を授かった男子は「君が授与側だなんて!」とこっそりとつぶやき。女子たちは非公式の式典を開いて、イオンとフィルに勲章を授けました。彼らは、騎士道を否定することはありませんが、かといって現存する階級社会を肯定しているわけでもありません。
それと、14巻ex2で、「商人が客を守って何が悪い!」と言ってのけるライナスがいます。すでに、“騎士の誇り”と“商人の誇り”が「平等」であるという前提が、あたりまえのように共有されているのです。
ランドリオールは、騎士を“特権階級”からひきずりおろすような物語ではありません。あらゆる人が“特権階級”になってしまうような、そんな物語なのです。
階級主義と平等主義の対立、などという陳腐な構図に収めることはできません。そのような対立を軽々と飛び越えていくのがランドリです。
友人に布教してたコミックスが戻ってきたので、キーワードを書いていきたいと思います